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セジニョ
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セジニョ

​斉藤 誠司さん

​口コミは、YAHOO!ニュースコメント欄をご覧ください(下記スクロール)

黄色と黒のユニホームをまとった中学1年生たちが、照明下のグラウンドで必死にサッカーボールを追いかけている。7月18日夜、さいたま市内の中学校。ボールを蹴るバコッ、バシッという乾いた音が響く。およそ40人が額に汗を光らせ、シュートやパスの練習を繰り返していた。

サッカー選手の育成からプロチームとの契約まで一括して手がける「セジニョサッカーアカデミー」。「はーい、次はドリブルの練習ね」。運営する斉藤誠司さん(37)が声を掛けると、「ハイッ!」と元気のいい声があがった。

「ここからワールドカップ(W杯)に出場する選手を送り出すのが夢なんですよ」。中学生や高校生の頃、日本代表に選ばれたキャリアを持つだけに、その思いは真剣そのものだ。

 

プロのサッカー選手を目指して、高校を中退し、単身ブラジルに渡った。ポルトガルやラトビア、インド、バーレーンなど計11か国・地域のプロリーグでプレー。戦力外の憂き目にも遭いながら、W杯への出場を夢見て、道を切り開いてきた。

「色んな考えや文化を持った人たちと交流できるのが楽しくて」。子どもたちにサッカーを教える傍ら、自らも練習に励み、まだプレー経験のないアフリカのチームへの移籍を目指している。

 斉藤さんは、少年時代から幾多の逆境を乗り越えてきた。

斉藤誠司

​観客3万人の中でプレーする斉藤誠司さん

小6の時、ファンだったJリーグ・柏レイソルのジュニアユースの試験を受けたが、2回も落ちた。学校でいじめに遭って転校した経験があり、「日陰にいる自分を変えたい」。

2回目の不合格を知るやいなや、チームの事務所にアポなしで突撃した。

 

出てきたスタッフに「最後のチャンスをください」と直談判。「度胸あるじゃん。面白い。来週の練習においでよ」と誘ってもらった。すかさず持参したスパイクを見せ、「これから練習があることも知っています。

今日、参加したいです!」とたたみかけると、「君みたいなのは初めてだよ」と、試験を兼ねた練習への参加が認められた。

1か月後に合格。メキメキと実力をつけ、その後、中学世代の日本代表に選出された。そして、高校1年の時、大きなチャンスが訪れる。試合を見に来たスカウトから「海外に挑戦しないか」と誘われたのだ。しかも、サッカー王国・ブラジルの名門ユースチームだ。

 

「移住するつもりで行く」。周囲の反対を振り切り、人生の大勝負に挑むことを決意した。

16歳の時にブラジルへ渡った斉藤さん。異国の地で波乱万丈の生活が待っていた。名門のユースチームから昇格してプロ契約し、レンタル移籍したチームでプレーしたが、1年でクビになった。

プレー映像をDVDにまとめて、ブラジル全土を回って売り込み、2011年までに4チームを渡り歩いた。試合に負けた時、サポーターから車に生卵を投げつけられ、勝った時は同じサポーターからサインをせがまれる。そんな荒波にもまれた。

11年には欧州のチームに移籍。さらに、アジア、中東、中南米でプレーした。チームに溶け込もうと、「ありがとう」という現地の言葉を必ず覚え、チームメートに自分から歩み寄った。しのぎを削ったライバルから「お前がいたから成長できたんだ」と声をかけられた時は、「このチームに巡り合えてよかった」。

セジニョ

​世界11ヵ国でプレーする斉藤誠司さん

異国の文化も積極的に受け入れた。イスラム教徒の多いバーレーンでは、お祈り用のじゅうたんを購入し、練習前後に他の選手と一緒に祈りをささげた。ラマダン(断食月)では、空腹に耐えながら一緒に練習を乗り切った。

「こっそり軽食をカバンに忍ばせていたけど、見ないふりをしてくれていた。自分を受け入れてくれたのかな」

 

斉藤さんは、子どもたちにサッカーを教える指導者としての顔も持つ。

ブラジルのチームにいた2008年、日系の子どもたちを対象に、サッカーアカデミーを設立。将来を見据え、日本語を学ばせたいと考える日系の親も多く、「大きな声援をくれた恩返しをしたい」と思った。

言葉は通じなくても、グラウンドで一緒にボールを追いかけるのは、ことのほか楽しかった。ポルトガル語を口にしながらパスを出し、子どもたちには日本語の掛け声でボールを蹴り返してもらった。「ありがとう」という日本語を教え、「ブラジルではあいさつで頬にキスするけれども、日本ではしないんだよ」と習慣の違いも伝授した。

保護者から「日本語を覚え、生活面でも大人になった」と喜ばれ、設立時に150人だったメンバーは翌年、3倍余りに増えた。

ある少年の姿に学んだことがある。学校でいじめを受けていたが、アカデミーで元気を取り戻し、自ら「学校に行く」と前を向いた。小学校の時にいじめを受けた自身と重ねて、「サッカーは、プロの選手になることだけが夢ではない。自信をつけ、成長させてくれる場でもあるんだよな」。

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​小学生に個別指導する斉藤誠司さん(右)

地元で人を育てるという夢をかなえてね」

世界11か国・地域でプロサッカー選手として活躍してきた斉藤さんは2019年、そんな思いを託され、「セジニョサッカーアカデミー」を地元のさいたま市で開校した。
 

セジニョ――。この名称には特別な意味がある。ブラジルで出会って婚約した日系人のユキさんが「誠司」からとったあだ名だ。17年にユキさんが乳がんを患っていることを知り、何度も見舞ったが、18年に亡くなった。
 

自身の誕生日には、毎年、ユキさんの手紙が届く。「生きている時に書いて、ご両親に託したのかな」と想像している。「地元で人を育ててね」。生前からよく言われていたメッセージは、亡くなってから初めて届いた手紙に記されていた。

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​FCセジニョ岩槻の第1期生メンバーと斉藤誠司さん(中央)

アカデミーは、選手の育成からプロチームとの契約まで手がけている。

 

ブラジルでも子どもたちにサッカーを教え、代理人を務めた選手のプロ契約を勝ち取ってきた。教え子たちが、日本とブラジルの代表としてワールドカップで戦う――。

 

夢を追い、元婚約者との二人三脚は続く。

 

竹田迅岐(読売新聞記者)

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